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「書く力至上主義」――私は自分のことを、そう表現することがあります。しゃべることはあまり頭を使わなくてもできる、でも、読み書きは文化的に訓練されなければできないからです。
では読み書きのうち、どちらがより難しいか。
その答えはもちろん、書くこと。
優れた文章を書くためには、文章の「表現力・構成力」、周囲の人の思いやモノの意味を「感じる力・読み取る力」、その感性をもとにした「想像力・考える力」が必要だからです。 |
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優れた文章を書くための第一歩は、「量」に対する恐れをなくすことです。数枚重なった原稿用紙を見ただけで「書けないよ」と投げ出してしまう子でも、実は書ける。たくさん書いた経験がないから、できないと思い込んでいるだけなのです。
子どもたちは、彼らが自分たちで思い込んでいる限界値を簡単に超えていきます。
だから私たち大人は、彼らの「できない、できない」という言葉を易々と受け入れてはいけないのです。 |
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もうひとつ、私たちは「ほめる」ことの大切さを認識する必要があります。大人がそうであるように、ほめられるほどに、子どもたちも書くことが「好き」になっていく。書くことが好きになった子には、「量」に対する恐れはありません。
もちろん、たくさん書くことに慣れさせるというだけではだめです。成長に応じて、子どもたちの書く「技術」も少しずつ育てていく必要があります。ここで重要になるのが、表現力や感じる力、考える力です。
高いレベルの文章というのは、客観(事実)と主観がうまく混じっています。自分の見聞きした事実が的確に再現されていて、かつ自分なりの経験や面白いアイディアが盛り込まれている。
「再現力」の育成には、親子での会話の際に、子どもたちにメモを取らせることが有効でしょう。メモを意識しながら会話することで、話の「大事なところ」「面白いところ」を読み取る能力が養われます。そのメモをもとに文章を書かせてみるのです。
主観とは、自分なりにまとめた事実を、自分の経験やアイディアでアレンジする能力、「オリジナリティ」のことをいいます。決して「無」から生まれるものではありません。
こんなことを言うと、「いろんなことをさせないと」とか「いろんなところに連れて行かないと」と勘違いされる方がいますが、こうした能力も自宅で充分に身につけさせることができます。子どもたちの心の世界に生じた、ちょっとした出来事に名前を付けさせたりすることでもいい。
そういった子どもたちの日常の心の揺れを、身近にいる大人がキャッチし、別の視点を示唆することで、子どもたちの「考える力」はどんどん伸びていくのです。
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ここ10年ほど、日本国内では学力低下に関する論争が続いています。これまでにOECD(経済協力開発機構)が発表した国際的な学習到達度調査(PISA・高校1年生対象)において、日本は読解力、数学的リテラシー(応用力)、科学的リテラシーの三分野で振るいませんでした。
この結果をもって、一概に「学力低下がさらに進行している」と言い切ることはできません。
ただ、気になることがあるのです。全体では6位だった科学的リテラシーで、不振だった二つの分野として、「疑問認識」と「現象の説明」が挙げられていたことです。モノを見て、それが何を意味するかを「読み取り、考える力」、そして考えたことを文字で「表現する力」が低下しているのかもしれません。
このことひとつをとってみても、国語力、特に「書く力」というものが、国語分野だけにとどまらないものであることがわかります。
「書く力」はまさに、すべての学問の基礎なのです。 |