インターネットが普及し、世の中の情報量はかつてより爆発的に増えています。それに伴って、ストレスが増えていると感じている人も多いようです。
インターネットと上手く付き合っていくために必要なことはどんなことでしょう。
ブンブンぱぁとなぁWEBの中から齋藤孝先生のお話の一部を紹介します。
インターネットは世界とつながり、より多くの人に自由なコミュニケーションを実現するはずでした。
ところが実際は、似たような趣味嗜好の人間たちが集まり、閉塞した空間で、お互い酸欠状態になってアップアップしている感じです。ストレスを感じながら、半ば義務のようにやり取りされる会話。とりとめもなく永遠に続くおしゃべり……。
みんなどこかおかしいと感じながらも、そこから抜け出すことができないのです。
学生に「SNSはストレスを減らすか増やすか」と質問すると、圧倒的に「ストレスを増やす」と答える人が多いのに驚きます。ならばSNSから少し離れればいいのですが、ストレスを感じながらそこから離れることができないのはなぜでしょう。学生たちの言葉から拾ってみます。
・自分の返事が相手にどう受け取られているのか、返信が来るまで落ち着かない。
・来たら来たで、どう返事をするか言葉を選んで返さなければならない。
・「いいね!」の数が人より少ないと不安になる。
・ずっと「いいね!」を送っていたのが、急に送らなくなると角が立つような気がして毎日チェックしている。
「自分がどう思われるか」「他人にどう評価されているか」他者の視線を気にする学生が明らかに増えているのです。
果たしてSNSでやり取りされている会話は、どれだけ深いものでしょうか? あいさつ代わりの「いいね!」のやり取りや、お互いの本質とはかけ離れた表面的な会話、YouTubeなどのコメント欄で飛び交う相手の全人格を攻撃する罵詈雑言……。とても深い会話とは言えそうもありません。
最近の若者たちの心の中に、憧憬や私淑する気持ちを抱くような偉大な他者は存在しているのでしょうか。偉大な他者を認識し、その人格を身近に感じられるようになれば、彼らと対話することで、内面を豊かにすることができます。しかし、今の若者の心の中には偉大な他者は存在していないのではないでしょうか。なにしろ、多くの若者が尊敬する人に真っ先に両親を挙げるのですから……。
心の中で会話する深い人格(偉大な他者)が誰一人いないとすれば、そこは砂漠です。その中で多くの人が渇きを覚え、水を求めています。しかし、水を求めてSNSに頼っても、結局出会うのは深い人格ではなく、とりとめのないおしゃべり、形式的な会話、そしてときにゾッとするような悪意のある雑言なのです。その結果、ますます心は渇き、砂漠化が進んでしまうのです。
インターネットやSNSは、便利なツールであることは間違いありません。ただし、弊害や偏りがあることも事実です。そして、常習性や暴力性という危険な側面も持っています。このことをしっかりと認識する必要があります。
子どもはもちろんですが、大人もPCやタブレット、スマホに触れる時間を1日1時間と制限したり、あるいは利用する時間帯を決めておいたりしてはどうでしょう。
ネットサーフィンやSNSに必要な時間を取られることを避け、自分なりのルールを決め、良い距離感と立ち位置で向き合うことが求められています。
いかがでしたか。
夏休みなど長い休みは、インターネットにふれる機会も増える時期。
日頃からしっかり家族間でルールを決めておきたいですね。
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